新・視力矯正日記16 『三角の対話、オープンダイアローグのセッションに参加した感想』

皆さん、

こんにちは!

 

今回は、

前回お伝えしたオープンダイアローグという対話の手法のセッションに参加した際の感想など、ご報告ができればと思います。

 

正確には僕が参加したのは、

「三角の対話」という形の対話で、

話し手と聴き手の2者間の話を、

もう1人の第三者が黙って聴き、

2者間の話が終わったら感じたことを話す、

というものでした。

 

これはオープンダイアローグ で言えば、

リフレクティングの部分に当たると思います(リフレクティングについては今の時点では深く理解していないので、とりあえずセッションに参加した際の話を続けます)。

 

今回のセッションは、

僕と、

clubhouseで知り合った、

医師をされているHさん、

そして、

オープンダイアローグや三角の対話を広める活動をされているOさん、

3名で行いました。

 

方法はzoomを使ったオンラインによるビデオ通話です。

 

前回の記事(https://shiryoku-kyousei.com/2021/05/05/newdiary-15/)でお伝えしたように、

僕には、

「視力矯正の不具合を専門家の方々と協力して改善していく活動をオープンダイアローグ のような形で行ってみたい」

という想いがあります。

 

このような話をclubhouseのあるルームでお話しした際、

僕が「対話」という言葉を使い、

大切にしていることが印象に残ったというモデレーター(ルームを立ち上げた司会者やファシリテーターのような役割)の方から、

オープンダイアローグ に取り組み、

広げている活動をされているOさんを紹介して頂いたのが、

今回のセッションが実現したキッカケです。

 

セッションはまず、

お互いの自己紹介から始まりました。

 

形としては、

Hさんが私の他己紹介を行い、

Hさんが話終わった後に、

僕がその話を聴いた感想を述べるというものでした。

 

その際にとても印象的だったのは、

Hさんが僕が抱えている視力矯正の不具合の悩みや、

いつも通っているネットカフェから出入り禁止を受けたことについて、

Hさん主催のルームで相談していることを、

大筋とはいえ、

丁寧に把握されていたことです。

 

視力矯正の不具合自体についても、

正確ではないとはいえ、

僕が悩んでいる状況についてかなりの程度、

把握して頂いていることに感銘を受けました。

 

次は、

HさんがOさんを他己紹介

Oさんを紹介する際も、

HさんはOさんの経歴や今行っている活動について、

かなり丁寧に把握されているという印象を受けました。

 

HさんがOさんの紹介を終えた後、

同じように僕がその紹介を聴いた感想を述べ、続いてOさんが感想や付け加えたいことなどを述べました。

 

次に、

今回のセッションは僕のことについて話し合う、ということだったので、

僕の視力矯正の不具合やネットカフェから出入り禁止を受けたことについて、

話をする時間を頂きました。

 

1通り話し合えた後、

Oさんから、

「今、人生で何が起こっているのでしょうか?」

という質問を頂き、

更に深い部分について、

僕が話を続けました。

 

次に僕がzoomのカメラと音声をミュートにし、

Hさん、Oさんが僕の話を聴いた感想をそれぞれ述べました。

 

そして次にHさん、Oさんの話を聴いた後、

僕が2人の感想を聴いた上で付け加えたいことについて述べました。

 

その際、

僕がHさんが話した内容について、

「重要なことがあるんですけど」、

と、Hさんが話した僕の感想について憤りを示しつつ、話しができたのは良かったと思います(このように三角の対話、リフレクティングという対話の形式には、話を聴いて感じた憤りなど、通常では言いづらいことが言いやすくなるという効果があります)。

 

その後更にHさんが感想を述べ、

Oさんが感想を述べて、

という風に、

そのように話をするのと聴くのを繰り返しながら、対話を深めていきました。

 

その際に、

Hさんが僕の話を聴いた感想として、

尊厳、や、

魂の叫び、という言葉を使って下さったこと、

僕のことをきちんと把握してくださっていることに、

とても感謝の想いが生じてきました。

 

次に

Oさんが、

フィンランドで生まれたオープンダイアローグの経緯について述べました。

 

特に印象的だったのは、

オープンダイアローグ はお互いの話を「純粋に聴く」ことを大切にしているという点です。

 

しかし、

「純粋に話を聴く」ということが難しいらしく、そのためにオープンダイアローグ の前身であるニード・アダプテッド・アプローチという方法も広まらなかったらしいです。

 

どうして「純粋に話を聴く」というのが難しいのか、

僕がOさんに理由を聴くと、

専門家が自分の専門性を忘れることができない点や、

人々がヒエラルキーというものから逃れられないことが、

「純粋に話を聴く」ということを難しくしているのではないかということでした。

 

ヒエラルキー...

 

人間という生き物は、

人をランク付けすることをやめることができないという話をよく聴きます。

 

精神医療にしても、

視力矯正の不具合にしても、

主に医療者との関係において、

特に医療者のヒエラルキーの頂点に位置する医師との対話が問題になっていると思うのですが、

偏差値教育における競争の勝者でもあり、

社会的な地位が高い医師という職業に就いている人々にとって、

ヒエラルキーという概念は捨てづらいのかもしれません。

 

僕にしても、

人をランク付けしたり、

自分を優位な立場に置きたいという欲望から、どれだけ逃れられているのかは分かりません。

ヒエラルキーを無くすことが良いことなのか、悪いことなのかも分かりません(音楽で言えば、やっぱりビートルズマイルス・デイビスは素晴らしいし、名盤ランキングも大好きです)。

 

それだけに、

「純粋に人の話を聴く」ということは、

ものすごくシンプルな発想ではありますが、

実現するのは難しいのだと感じます。

 

今回のセッションで僕が感想を述べる際、

HさんやOさんにも伝えたことですが、

僕が自分の切実な話をかなり深い部分まで、じっくりと丁寧に話ができた、

この三角の対話、オープンダイアローグという対話の形式や手法は、

本当に素晴らしいものだと思いました。

 

本当に素晴らしく、

贅沢な時間でした。

 

色々と障壁はあるみたいなのですが、

この三角の対話やオープンダイアローグという対話の思想や手法が、

人々の間に広まることを、

心から願っております。。。

 

皆さんは「純粋に話を聴く」ということについて、どう思われるでしょうか?

 

また、ヒエラルキーというものから、

人々はどれくらい自由になると思われるでしょうか?

 

良かったら感想など、

教えて頂けましたら幸いです。

 

よろしくお願いいたします! 

 

2021.04.03