新・視力矯正日記17 『オープンダイアローグ・オンライン勉強会第1回の感想』

2021420日に行われた、

オープンダイアローグについて学ぶ〜受けたいときに受けられる場をつくろう〜の、

1回のセミナーに参加しました。

 

講師を担当した長井雅史さんは、

慶應義塾大学SFC研究所で研究員の仕事をされながら、

「自然と共にある暮らしを探究・実践しながら、コーティングや対話を 通じて人や組織の変容、コミュニティづくりに携わ」(セミナー申し込み時に記載されていたプロフィールより)っておられるお方です。

 

実を言うと以前、

長井さんは僕に何度かコーチングをして頂いていたお方で、

長井さんが現在住んでおられる千葉県いすみ市や、以前住んでおられた鎌倉でコーチングをして頂いた日々は懐かしく、

良い思い出です。

 

セミナーは、

主に長井さんが共著で出されている『対話のことば オープンダイアローグに学ぶ問題解消のための対話の心得』の解説を中心に、

zoomのセッション)ルームでの参加者同士の対話と質疑応答を交互に行いながら進められていきました。

 

今回の記事では、

セミナーの中でも最も印象に残った話について書きたいと思います。

 

それは、

「専門性」についての話です。

 

オープンダイアローグを行う上での心得の1つに、

専門性を忘れる、

というものがあり、

そのような話をされた際に、

僕は専門性と関係の対等性についてお聞きしたいと思い、

以下の投稿をチャット欄に行いました。

 

「【質問】オープンダイアローグでは、

専門性をなくして対等な関係で話すことを目指されている印象があるのですが、

僕の場合は、対話自体は対等な関係を求めつつ、 同時に、

視力矯正の専門家の方々の専門性も求めています。

 

対話自体は対等な関係を築き、

専門性も求めるというのは、

もしかしたら難しいことかもしれないのですが、

オープンダイアローグでは、

或いは長井さん自身は、

専門性と対話をする中でのお互いの関係の対等性については、

どう考えられているのでしょうか?

 

この投稿に対して口頭で言葉を付け加え、

それに対して長井さんに次のようなお答えを頂きました。

 

「よく、専門性を忘れるという表現を「専門性のヨロイを脱ぐ」と表現されますが、僕は専門性そのものも「1つの声」だと思っているので、

専門性自体を無くす必要はないと思っていて、

専門家は自分の専門性に基づいて意見を述べても良いと思う。

一般的に問題となっているのは、

1つの専門性が正しいとされていて、

その正しい専門性を主張して他の考えや価値観を聴かなかったり受け止めない=排除するのは「モノローグ」であり、

「ダイアローグ」ではないのでそれは良くないと思う」(長井さんのお答えを僕の記憶で再構成しているため、もしかしたら長井さんから頂いた回答と違う部分もあるかもしれませんが、僕はこのような内容として受け止めました)。

 

それを聴いて僕は、

「モノローグ」と「ダイアローグ」の違いという、とても基本的な話を、

初めて「腑に落ちた」という感覚で理解できたような気がしました。

 

そう考えると、

「腑に落ちた」と感じるまで物事を理解するには、

何となく本を読んだり、

授業や動画で話を聴いたりするだけでなく、

「対話」=「ダイアローグ」という営みが必要なのかもしれない、

と改めて感じました。

 

そして、

このように考えると

普段、

医師と患者が出会う診察室はもちろんのこと、

専門家と話をする、

あらゆる場面で、

「ダイアローグ」を感じる場面は本当に少ないと思います。

 

皆さんは専門家の方と話をしているとき、

「ダイアローグ」、

つまり、

「対話をしている」

と、感じるときはありますか?

 

今回は以上です。

最後までお読み下さり、

ありがとうございました。