新・視力矯正日記20 『オープンダイアローグ の映画の字幕を読み合う講座に参加して〜』② 前回の記事に続いて、

先日、59日(日)、

ダイアロジカルサロンさん主催のダイアローグ を学ぶシリーズ第5回「オープンダイアローグを学ぶ」に参加した時の話の続き。

 

アメリカでは一般的に精神病が特定の個人の脳の問題としてみなされている。そのために 治療として、患者を日常生活から引き離して入院させ、脳の改善薬が投与される。 しかし、西ラップランドでは、精神病は個人と個人の間に生じる問題だと概念化されていて、 つまり問題は人間関係の中で起きていると言っている。 従って彼らの治療法は社会的なつながりを動かし、関係を立て直すことを求め、できるだけ 人々を疎外せず、そして、入院経験者の烙印を押さないように努める。」

(ダニエル・マックラー監督、

『オープンダイアローグ』フィンランドにおける精神病治療への代替アプローチ(『開かれた対話』Open Dialogue, Japanese subtitles)本編文字起こしより)。

 

精神医療についてはほとんど知らないので詳しくは分からないのですが、

一般的に、

統合失調症と呼ばれる症状が「個人と個人の間に生じる問題だと概念化」されているとしたら、人と人との関係性によって生じるとしたら、

どうしてそのを症状を投薬で改善しようとするのか、僕としては不思議な気持ちです。

 

人と人との関係性によって生じるとしたら、

人と人との関係性を改善することによって、

引き起こされている統合失調症と呼ばれる状態の改善を目指すのが普通な気がするのですが...

そのような状況になっていないということは、精神病と呼ばれる状態が、

ある程度、

脳に問題があるとされているということなのでしょうか。

 

そのような想いと、

僕が、視力矯正の不具合を抱え、

その不具合を改善したいと思って活動している中で気づき、

芽生えていった、

 

「医師と患者という関係性や、

障害者、健常者という分け方を前提とせず、

何かしら生じた個人の「不具合」に対して病名や障害名をつけることなく「不具合」のまま、例えば医師は医療の専門家として、

不具合を抱えた当事者はその不具合という苦労を抱えた専門家として、お互いが対等の立場で共に、

その「不具合」を改善していく問題解決=医療の形はないのだろうか。」

 

という問題意識は、

きっと同じような感覚(と、知性)から生じています。

 

精神医療の...というより、

精神科だけでなく、

医療の根本的なあり方について、

皆さんと対話をしてみたいという想いが強くなりました。

 

ぜひ、

そのような対話の場を築いていきたいです。

 

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