新・視力矯正日記26 『対話性についての対話』

いつも参加させて頂いている、

りすにんぐファームさん主催のお話会の、 

523日(日)の会に

参加した時のことについて、

記事を書きたいと思います。

 

日曜日はいつも、

「お互いにただただお話を聴く会」が行われていますが、

523日(日)のお話会は、

5日曜日のスペシャDAYということで、

「対話性について対話的にはなす会」が行われました。

 

以下、

内容について、

りすにんぐファームさんのメールマガジンから引用します。 

 

「「オープンダイアローグ」や「未来語りのダイアローグ」の基盤となっている『対話性』に関して、参加者それぞれの視点から声を重ねていく場になればと思っております。『対話性』に関して、あまりわからないと感じる方も、他の方の視点を聴きながら、その場で感じたことを発言して頂けます。

 

ここでの『対話性』は、オープンダイアローグ、未来語りのダイアローグの関連書籍、対話の実践ガイドラインなどに記載されていることや、

 各種研修で、講師から語られた言葉や資料、または、それらに関してご自身が感じられたことが含まれると捉えております。」(りすにんぐファームのメールマガジンより)。

 

この日のお話会は、

まず、

参加者が自己紹介を行ってから、

21組のペアになり、

対話性について順番に対話をしていく、

という流れで行われました。

 

対話性とは何か、

について、

僕は普段、

考えてはいるものの、

きちんと言葉にはしてきませんでした。

 

また、

対話については、

教科書的な定義はいくつもあると思いますが、

普段、対話をしていて「対話は良いなぁ」と感じている感覚を言葉にしたいなと思っていました。

 

そのような想いを自己紹介の時間に述べ、

対話性についての対話にのぞみました。

 

僕の順番は1番目でした。

 

僕は対話性について、

以前、対話とは何か、

考えるイベントがあった際、

僕は対話とは「向き合う」ことだと思い、

紙に大きく「向き合う」と、

書きました。

 

今でもその想いや印象は変わっていませんが、参加者の方々の話を聴くうちに、

最近色んな対話の場で感じていたことを思い出しながら、

対話や対話性というものに抱いている大切な想いについて、

新しい言葉が浮かびました。

 

それは、

対話とは相手に訴えかけるもの、

という言葉です。

 

最近、色々な対話の場で、

本当の自分とつながる、

自分の内側とつながる、

本当に感じていることを語る、

というような対話の良いところを掲げながら、

それらを名目に、

語っている自分に酔いしれるように自分語りをする人たちの存在が気になっていました。

 

もちろん、

対話の場では、

基本的には何を言っても自由だし、

自分に酔いしれることができるのも対話の魅力の1つだと思いますが、

僕は憤りを感じる部分がありました。

 

1番の理由は、

そのような人たちに、

他者への思いやりや、

他者へ訴えかけるようなものを

感じないことが、

多くあったからです。

 

極端に言えばそれらはモノローグに近いと思うのですが、

少なくとも僕が、

「対話っていいなぁ」とか、

「対話性があるなぁ」と、

感じるようなものではありませんでした。

 

思いやる気持ちと、

訴えかけるようなもの。

 

どちらも対話的なイメージとしては良いものだとは思うのですが、

対話とは、

その場の空気や、

膠着した状態、行き詰まった状況を切り開いていくことに意義があると思っているので、

相手に訴えかけるもの、

という言葉の方が、

対話には相応しいと感じます。

 

訴えかける、

という言葉を見つけて色々と考えているうちに、

チャップリンが主演・監督した『独裁者』の終盤で、

チャップリンヒトラー(劇中の役名はヒンケル)の格好をして演説する有名な場面が浮かんでいました。

 

演説は多くの人々に訴えかけるパフォーマンスなので、

訴求力のある演説は、

対話性のある対話なのかもしれません。

 

皆さんは、

対話や対話性、

対話性のある対話

とは、

どのようなものだと思いますか?

 

この問いは、

これからもずっと問い続け、

深めていきたいテーマだなと思いました。

 

今回は以上です。

最後までお読み下さり、

ありがとうございました。